活字離れが進んでいる、という。
だから、深くモノを考えることができなくなったという人もいる。
でも、最近のマンガ、アニメを見ていると本当にモノを深く考えることができなくなったのか?と思う。
アニメ監督で押井守という人がいる。パトレーバーとか甲殻機動隊とか作ってきた人だけど、この人の映画は押井節といわれるほど、長いセリフが多く、いちいち哲学的である。
庵野秀明という人がいて、エヴァンゲリオンの監督だけど、これまたものすごく深く読み込んでいるファンが多い。
日本だけじゃない。ウォシャウスキー兄弟というのがいて日本のアニメ大好きだが、映画マトリクスシリーズを作った。この映画も哲学だらけで、トリニティという名前の女が部屋番号303に住んでいるが、303は聖書では三位一体を意味する、などといった具合である。
今、日本のアニメで行われていることは過去の哲学、それを文字で表現した文学を映像に変えていっている作業に思えてならない。というのも、そういう思想背景が見えないマンガはすぐ消え去っていくように見える。(デジタルデータがほとんどだから、本当には消えないのだけれど)
アニメを理解するというインターフェースを持たない旧来の「大人」には理解不能であり、弾き出されていくのだろう。もう、文学を読んで評論するなんてのは終焉を迎えたのかも知れない。
しばらくは文字とアニメ両方を理解できる人間が一番、いい立場なのだろう。しかし、すでにアニメのストーリーを話しているようで、裏にある深淵な哲学を議論してしまっている会話はインターネットでよく見かけるようになっている。
古い人にはまったく理解できない世界が始まりつつある気がしてならない。
Category: 俺や巷の出来事
| Leave a Comment

