ちょっと前にめずらしくテレビを見ていたら、なんのインタビューだかは忘れたんだけれど、お年寄りが「私たちは恵まれすぎてますからねぇ。今後の若者に少し還元してほうがいいかも」とおっしゃっていたのが、よく理解できないでいたが、最近わかってきた。
実は私の母もだいぶと年寄りで、後期高齢者医療保険を適用されている。これ、国民保険ながら負担は1割。
父は亡くなっているけれど、母が手にする年金はちょっとしたOLの給料並はある。
しかも、介護保険のおかげで、ヘルパーさんやら、老人ホームやら有効に活用できる施設もいっぱい。介護ビジネスは立派に成立してるから、最大手は脱税してみたりする。
有料老人ホームに生涯住む権利は安くはないが、実家の古いマンションを売った代金でお釣りがくる程度。一般の賃貸マンションはお年寄りには貸してくれないからね。「死なれたら困る」って家主さんはみんな言うそうだ。(不動産屋談)
有料老人ホームは、介護ビジネスが集中しているだけに住んでいる老人には快適この上ない。建物は広いので運動するし、飯はうまい、職員は構ってくれる、同世代の友達はできる、時々はバスに乗って買い物やら美術館巡り。一人暮らしより、はるかに健康的で寿命が延びるらしい。
時々、家族が遊びにいってあげるくらいでちょうどよいようだ。
ちょっと前の「恍惚の人(認知症の人間を介護する家族の悲惨さを描いた小説)」なんて昔話である。施設で資格もった人が世話してくれる時代なんだなぁ。
この道10年という専門の人といろいろ話すと、お年寄りの世話というのは立派なプロの仕事であって、家族といえども素人だな、と痛感する。
すごい世の中になってたんだ。
母が幸せに暮らせればいいのだけど、俺が70歳くらになったころには、崩壊してるんだろうなぁ。
この間、社会人大学に行ってるヤツがマルクス経済をやるだの、やらんだのいっていた。
経済学士としては、俺は驚愕!
20年以上前に、俺が経済学部の学生だったころは、近代経済学とマルクス経済学の両方が必修だった。が、マルクス経済学はいくらマルクスが天才の誉れが高かろうが、おかしなことだらけである。
例えば彼の主張は労働者は労働時間を使って労働価値を創出する。労働価値-労働時間賃金が搾取されている、と主張する。
この考え方がおかしいのは、今の日本を見れば明らかだ。価値がどんどん減っているから労働賃金は押さえられてしまっている。商品の価値は労働力とはまったく違うところで決まる。
アダム・スミスの古典派経済学も同様の誤りをおかしているが、そもそも一物一価にはならない。たとえば、ガムひとつとっても駅構内のキオスクでは定価であっても、スーパーに行けば安い。ビール一本とっても、スーパーで買うのと、六本木のキャバクラで飲むのでは値段が違う。
輪ゴムが動物の形になっているだけで、ドエラい売れ方をする。いずれ、飽きて売れなくなる。商品の価値はそれが創りだされる労働力とまったくリンクしないのである。
もう一点、上の議論がおかしいのは、製造機械を入れて生産性を上げるとどういうことになるか、という考察がない。もともと「労働者は搾取される一方の気の毒な人々なんです。」という暗黙の前提で議論が開始されているから、見方が偏るのである。
あんな世の中を見るのに不自由な経済学をいまだに学校で教えるのは、いかがなものかね。経済学史として、マルサスとかリカードとかの主張と同列で十分だと思うのだが。
というものが、マネックスFXにはあって、APIでデータを取ったり、取引できるというので、それは仕事中も稼いでくれるシステムができるかも、と、口座を開いて夜な夜なやってみた。
結論。
時間の浪費だった
理由
- APIのはっきりした定義がどこにもない。どういうオブジェクトでどういうメソッドがあり、プロパティの属性はなにか、なにもない。開発で作った資料の一部みたいなものを「定義書」と名づけているだけ。参考になるものは、サンプルの汚いソース(すべて関数で書くから読みづらいこと)があるだけ。
- APIのプロパティが実行する日によって変わる。時々、APIの入れ替えがあるが、なんの説明もない。昨日動いていたのに、今日はそんなプロパティ知らん、という
- サポートが悪い。窓口の人は一生懸命なんだろうけれど、聞く先がいい加減な返答しかしないから、そのまま帰ってくる。ひとつ聞くと3日かかるから、やり取りをあきらめた。
- データの取得が不安定。取れたり、取れなかったり。これじゃ、安心してインフラにできない。
どうりで、ネットをいくら探しても活用している人がいないわけです。今後はわかりませんが、現時点ではボロボロです。2chでは温情で組織移動した、というようなタレコミがありましたが、あながち嘘だと思えない出来です。マネックスJooでプログラム書こうという人の参考になれば。
リアルタイムデータを入手したいのであれば、楽天証券RSS(Realtime Spread Sheet)のほうが、きちんと手に入るようですね。(使ってるポートに注意)
導入したら試しに動かすwelcome.phpに{elapse_time}っていうのがあって、これはきちんと数値が入ってくる。便利そうだ、と調べたら「擬似変数」というらしい。
コントローラーにこんなふうに書けばいいようだ。
$this->load->library('parser');
$data= array('hoge' =>’グー');
$this->parser->parse('viewtemplate',$data);
ここで、’viewtemplate’はViewライブラリー’viewtemplate.php’として置いておく。
これで狂ったようにecho,echoって書かずに{hoge}ですむ。
podcastでジョブズの長い談話が出ていて、非常に興味深く聞かせてもらっています。
この間、おもしろいと思ったのは「タッチパネルのペン入力は長い間試みられてきたが、遅い点はどうしようもない。だからアップルはタッチパネルを使うまったく新しいこの世になかった方法を創りだす必要があった」という話です。
なるほどなぁ、と思いました。iPod Touch(iPhone)以前にガラス面を指でこするインターフェースはなかったし、マルチタッチは先進的なUIの分野では語られていましたが、製品レベルでは存在していなかったと思います。いまだに他社から出ていないでしょう?従来のシートを画面に貼り付ける方式じゃ、あのヌルヌル感は無理です。実際、中華製アンドロイドデバイスが感圧式のパネルなのですが、爪でこすらねばなりません。
ペンで描くタブレットやデジタルノートは多数製品としてありますが、絵を描くにはいいですが文章を書くには誤認識、修正しずらい点はついに改善されていません。結局、キーボードが生き残っています。hpが買収し、しぶとく製品化されるらしいPalm(WebOS)はペンで特別な略字体を書けば文字認識されましたが、あれでメールのような長い文章が書ける気がしません。
とくに日本語はかな漢字変換というプロセスが間に入るため、ローマ字入力部分は極力シンプルじゃないとメンド臭くて仕方がないです。私の場合、iPodで文字を入力する時、英語はフルキーボードを出します。日本語入力はフリックでやります。フリックは相当に画期的な入力方法だと感心します。日本語のアカサタナ。。。が、一行5文字だから、上下左右中央に配置すればいい、というのは今までになかった方法ですよね。しかも覚えれば早い! 私にとってみれば、日本語のことを一番よく知ってるのは日本人、という思い込みが崩れ去る一瞬でした。練習すれば、これくらいの速度で可能なわけで。
周囲の声がうざいので、音量をミュートにして見てください。
なんとなく最近のアップルの製品は入力がおもしろいよね、ということの背景は、タッチパネルというものをどう使うか?という大きな命題が隠れていたということでした。引き続き、ジョブズの対話を拝聴します。(iPod Touchで)
活字離れが進んでいる、という。
だから、深くモノを考えることができなくなったという人もいる。
でも、最近のマンガ、アニメを見ていると本当にモノを深く考えることができなくなったのか?と思う。
アニメ監督で押井守という人がいる。パトレーバーとか甲殻機動隊とか作ってきた人だけど、この人の映画は押井節といわれるほど、長いセリフが多く、いちいち哲学的である。
庵野秀明という人がいて、エヴァンゲリオンの監督だけど、これまたものすごく深く読み込んでいるファンが多い。
日本だけじゃない。ウォシャウスキー兄弟というのがいて日本のアニメ大好きだが、映画マトリクスシリーズを作った。この映画も哲学だらけで、トリニティという名前の女が部屋番号303に住んでいるが、303は聖書では三位一体を意味する、などといった具合である。
今、日本のアニメで行われていることは過去の哲学、それを文字で表現した文学を映像に変えていっている作業に思えてならない。というのも、そういう思想背景が見えないマンガはすぐ消え去っていくように見える。(デジタルデータがほとんどだから、本当には消えないのだけれど)
アニメを理解するというインターフェースを持たない旧来の「大人」には理解不能であり、弾き出されていくのだろう。もう、文学を読んで評論するなんてのは終焉を迎えたのかも知れない。
しばらくは文字とアニメ両方を理解できる人間が一番、いい立場なのだろう。しかし、すでにアニメのストーリーを話しているようで、裏にある深淵な哲学を議論してしまっている会話はインターネットでよく見かけるようになっている。
古い人にはまったく理解できない世界が始まりつつある気がしてならない。
知っている映画監督が映画を作ったので、家人と観に行った。(ちょっと前の話しである)
若くてかわいい女優達、少し年季の入ったベテラン女優、円熟さを見せる熟年俳優が出演者であった。監督がストーリーも作った作品。
一時間半程度だが長かった。ストーリーにまったく引き込まれない。映画を見終わって、家人も「これでお金取るの?ww」
ストーリーは話しが飛んでいるのと、共感できないのでわかりにくい。撮影の途中の手ぶれがヒドく、気持ち悪くなった。女優の演技は高校の文化祭並み。川原亜矢子を思い出した。
なんと5日で撮影は終了したそうだ。公式ウェブサイトもあるが、ウソ臭い身内のほめちぎった書き込みだけ。否定的なコメントが一切ないのは掲載しないんだろうな。納得。
それでもこの監督は専門学校の講師までやられている方で、きさくないい人ではある。
ロードショーにかかるような映画を作れる監督が、いかに高い技術をもっているのか素人が垣間見ることができる経験だった。俳優に演技をつけることより、一度見てわかるストーリーの展開ができるということは、やっぱりすごいんだと思う。
映画からスタートしたわけじゃない、北野武なんか、どうやってそういう技術を取得したんだろ?やはり、天才なのかな。
たまたま、こんなブログを見つけた”死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界”
ほんとうに偉い人です。高校のころに参考書200冊を皮切りに、略歴をうかがってるとほんとに、日本でいう「英語使い」だと思います。
「多少英語ができても、いい気になるなよ」というのは外資系で働く俺は本当にそのとおりだと思います。私も英語の勉強は続けてるけど、それは間違って理解したり、間違って伝えたくない、という一心です。まちがっても、英語を知らない人がいう「ペラペラ」になんかなれると思ってません。思えないし。ベスト・キッドのミヤギ先生が理想だな。
英語を多少話す人をつかまえてバイ・リンガルというが嘘だね。いい表現の英語って、仮に日本語がペラペラであっても、ベースが英語でなけりゃ無理、絶対に表現が違う。
こういうことは、もうTOEICレベルのテストで測定されるものではない。俺の席の近くにTOEIC800点以上の奴がいるが、それはそれはひどい英語を話す。なんとか通じているが、そんなもの。このブログの人が書いているように600点から900点って「いい表現の英語」レベルから見たら誤差に過ぎないわね。
ただ、それでも、世界の共通言語として使わざる得ない現実が横たわっているのも事実。